私が歌川です

@utgwkk が書いている

『プログラマのための文字コード技術入門』を読んだ

プログラマのための文字コード技術入門 (WEB+DB PRESS plus) (WEB+DB PRESS plusシリーズ)

プログラマのための文字コード技術入門 (WEB+DB PRESS plus) (WEB+DB PRESS plusシリーズ)

読んだ。これ一冊で文字コードのことがだいたい分かるというボリュームでかつてなかった。やや情報が古いところもあるので適宜調べていくとよさそう*1

Shift-JIS のダメ文字や幽霊文字の話は知っていたけど、符号化文字集合と文字符号化形式の違いとか、UnicodeUTF-8UTF-16 の違いとか、今まであいまいにしていてライブラリに頼っていたところの話が全部書いてあった。 RFC に準拠しているメーラーと準拠していないメーラーとの間で添付ファイルの名前が文字化けするのでうまくやっていくという話があって、大変という感じだった。ぜんぶ準拠していればこんなことにはならなさそう?

UnicodeError に悩まされた経験のある人は絶対に一度は読んでおいたほうがいいと思う。ぼく自身はたぶん一度読んだだけではまだ理解しきれていなくて、何度も読み返して噛み砕かないといけなさそう。

*1:たとえば Ruby 1.9 の内部処理について解説しているところとか

惰性と名目

何のためにこれをしているのか、ということを考え直すようになってから、じつは今まで惰性でいろいろなことを続けてきていたのではないか、ということを思うようになった。

惰性で大学に行っていると言われればそれは否定できない。そもそも大学に入ることが自分の中で一つのゴールのようになっていたと思う。大学に入ればあれができるしこれができるから、高校生である今は我慢しておこう、ということがあまりにも多く、そしてそれは入学と同時に全て解放され、風土やら雰囲気やらの助けもあり、結果として名目としての大学がそこに生まれ、いつの間にか名目としての学生になっていた。名目としての学生なので、せめて朝ごはんぐらいは大学の食堂を有効活用することを強いられていて、それは自分を大学に繋ぎ止めている鎖のようにしっかり働いていると思う。

受験期はそれなりに成績もよかったのでなんとかなっていたが、大学ではそれは全く通用しないということが分かり、名目で生きていくほかないという気持ちが大きくなった。周囲にはすごい人間がいくらでもいて、思いがけずいろいろなことを学ばされる機会がある。名目としての学生は、下から数えたほうが速い成績をいくつも残すようになった。そしてそれでもなんとか単位は揃うので、いかにして楽をしながら単位を揃えていくかばかりを考えるようになった。名目とは気楽なものである。

いくらでもモラトリアムを満喫していようとは積極的には思わない。いつ仕送りが止まるかも分からない*1*2状況にあるので、少なくとも、おいしいものを満腹になるまで食べるためのお金や、遊び倒すためのお金ぐらいは自分で稼いでおいたほうがよいだろうと思い、アルバイトをしている。幸いクビにもなっていないが、得にすごいことをしているというわけでもなく、こちらの方もだんだんと惰性を帯びてきつつある。やはり時給に人は勝てない。環境*3さえもう少しよくなればと思うことは多々ある。

自分は特にすごい人間というわけでもなく、ただちょっと普通の人よりコードを書いた経験*4があるだけで、このままドロップアウトしても社会に飲まれるだけだろうという考えもあるし、生活基盤については安定志向のようなところがあり、突然の大きな変化は望んでいない。したがって考えに沿っていくと、準備が整うまでは惰性を続けていくのが最適であるという結論に達する。あれを止めたいこれを辞めたい、新しいことに手を出したいというのはあっても、身体が安定を求めてしまう。

惰性はだせえ、と言われても、それはその通りですが今はこうしているよりほかにないのです、と言うしかない。身体が欲している変化とは、現状を維持しつつ更なる高みを手にする変化であり、要するに甘えのようなものだ。惰性が惰性でなくなるのはいつのことやら、いつまでも未来の自分に期待している。

*1:これは実際に言われていることであり、そして現実いつ止まるかほんとうに分からないので常に怯えていなければならない。

*2:どこまでが本気でどこまでが冗談なのかは不明だけど、とりあえずお金のことを考えると本気にしておいたほうが身のためではあるということを理解しているつもりだ。

*3:サービスパックの当たっていない Windows7 が入ったパソコンを使っている。さすがにもうレガシーだと思う。

*4:コードを書いた経験があることは、必ずしも良いコードや、良い手続きを考えられることに結びつくとは限らないという経験は、大学に入って痛いほど繰り返している。

『公理と証明 証明論への招待』を読んだ

届いていたので読んだ。

公理と証明 証明論への招待 (ちくま学芸文庫)

公理と証明 証明論への招待 (ちくま学芸文庫)

私のような、ものごとを深く考えずに受け入れてしまう癖のある人間は、しばしば「公理」というものが疑いようのない事実であるとみなしてしまう。

素朴集合論においてラッセルのパラドックスが導かれることが分かってから、数学者たちはいろいろなアプローチで、正しい数学について議論するようになった。論理主義、直観主義形式主義がそれである。本の最終章で、形式的証明とはどのように行われるのか、体系が無矛盾であることをどのように示すのか、が述べられている。

数学が完全な真理の学問であると信じて疑わなかった人々に、種々のパラドックス不完全性定理がどれだけ衝撃を与えたのか、とかを考えたけど、ちゃんとした知識がないのでここで考えるのをやめてしまった。大変そうだということは分かる。

めちゃくちゃ難しい数式は出てこないし、内容もそれほど複雑ではないので、数学基礎論の導入編としてよさそう。文庫本なのでどうしても省略されているところが多く、物足りないところを調べていくというスタンスで読み進めていくのがちょうどよい感じ。

ビア小町

花金でした。三条にあるとのことでシュッと行った。店主が欧米系の方で、評判通り外国人のお客さんが多かった。

ペールエールとホッピーアンバーを飲みつつ揚げ物を食べたところだいだい良くなった。

記事書いてたらおなかすいてきた……。

欲しいものリストに欲しくないものを入れること

インターネットでは日々高度な遊びが繰り広げられており、最後に残るのは利用されずに隅に放置されるカラーコーンだけである。ただカラーコーンに罪はない。

モノを贈るだけの余裕がある人も、もっとその人の本当に欲しいものを贈ればよいのではなかろうか、と思っているが、相変わらずカラーコーンが飛び交っている。

私にはカラーコーンは必要ありません、をください。カラーコーンは読めないけれど、本は読める。

繰り返す、カラーコーンに罪はない。

「数強」と学科のツイッター事情について

発言は個人の見解であり、所属する団体を代表するものではありません

「数強」

「数強」という言葉をご存知だろうか? ツイッターを眺めている限りでは「数学や物理などの科目がよくできる人」を意味していることが分かる。

すくなくともうちの学部学科においては、「数強」ほど立場としては強くなれる——なぜなら数学系科目の単位を高い評定で取ることができるからだ——と私は認識している。

私は、自分自信は決して「数強」ではない、と思っている。成績を見れば明らかに分かると思っていて、実際数学・物理系の科目の評定は、学期を経るごとに低くなっており、60点すれすれで取ったものが何個もあるし、とうとう線形代数の単位を落としてしまった*1

さて、そんないわゆる「数強」ではない私は、よくツイッターでこのようなやり取りを目にする。

あ❗️[人名]❗️🌚ダン💥ダン💥ダン💥シャーン🎶数強🌝数強🌚数強🌝数強🌚数強🌝数強🌚数〜〜〜強⤴🌝数強🌚数強🌝数強🌚数強🌝数強🌚数強🌝数〜〜〜強⤵🌞

果たして「やりとり」と形容してよいのかも不明なのだが、それは明らかにツイッターでのコミュニケーションとして日常的に行われている。要するにスーモの CM を「数強」にした替え歌である。 いまだに何が楽しくてこのようなやりとりがされているのか、まだ分からずにいる。興味深いことには、このようなやりとりは(すくなくともうちの学科では)何人かは現実世界でも用いている。

もちろん「数強」であることは素晴らしいことだし、「数強」になれるならなりたいと思っているのだが、「数強」という言葉はこのようなコミュニケーションの道具として使われているのかと思うと、やや複雑な気持ちになる。 ひょっとして煽りのようなことになっているようにも見える。

学科のツイッター事情

スマホを持ったデジタルネイティヴ世代であるので、学科の同級生のツイッターアカウントを何個もフォローしている。またときには上級生や下級生もフォローしているが、ツイッターはだいたいひどい。 誰しもがオタク的定型文で話し、時に煽り合いのようなリプライが飛び交い、先述した「数強」をダシに意味不明のツイートを飛ばしている。 誰々にフォローされて大喜びみたいな、若々しいツイートについ苦笑いしてしまうこともある。

一番ひどいのは浪人・学歴界隈だと思っている。大学に受かってなお学歴の話ばかりしているのは正直のところ見苦しいし、いつまで引きずっているんだという気持ちになる。そしてこれは自戒でもある。

そんなに不快ならフォローしなければよいのではないか、とお思いになるかもしれないが、ここは大学で、すなわち情報戦が繰り広げられているのだ。 常にアンテナを張って、講義の過去問やガイダンスに関する最新情報を得なければ、我々はとうてい生きてはいけない。 したがって有用な情報のみをかき集め、無用かつ不快な情報は何らかの方法でシャットアウトすればよいということになるのだが、常にキーワードフィルタリングを使うことができるわけでもないので、そうするとあとは気持ちベースで乗り越えるしかなくなる。

もともとコミュニケーションには疎い性分なので、そのうえ難しいノリを持ち出されると、もうどうにもできなくなる。

まとめ

「あなたの感想ですよね」と言われるとまったく反論できないし、べつに論理的にどうこう説明するつもりもないけど、どうにかなってくれ~~

*1:まあ、それは本当に不勉強だったためではあると思っているが……。