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「数強」
「数強」という言葉をご存知だろうか? ツイッターを眺めている限りでは「数学や物理などの科目がよくできる人」を意味していることが分かる。
すくなくともうちの学部学科においては、「数強」ほど立場としては強くなれる——なぜなら数学系科目の単位を高い評定で取ることができるからだ——と私は認識している。
私は、自分自信は決して「数強」ではない、と思っている。成績を見れば明らかに分かると思っていて、実際数学・物理系の科目の評定は、学期を経るごとに低くなっており、60点すれすれで取ったものが何個もあるし、とうとう線形代数の単位を落としてしまった*1。
さて、そんないわゆる「数強」ではない私は、よくツイッターでこのようなやり取りを目にする。
あ❗️[人名]❗️🌚ダン💥ダン💥ダン💥シャーン🎶数強🌝数強🌚数強🌝数強🌚数強🌝数強🌚数〜〜〜強⤴🌝数強🌚数強🌝数強🌚数強🌝数強🌚数強🌝数〜〜〜強⤵🌞
果たして「やりとり」と形容してよいのかも不明なのだが、それは明らかにツイッターでのコミュニケーションとして日常的に行われている。要するにスーモの CM を「数強」にした替え歌である。 いまだに何が楽しくてこのようなやりとりがされているのか、まだ分からずにいる。興味深いことには、このようなやりとりは(すくなくともうちの学科では)何人かは現実世界でも用いている。
もちろん「数強」であることは素晴らしいことだし、「数強」になれるならなりたいと思っているのだが、「数強」という言葉はこのようなコミュニケーションの道具として使われているのかと思うと、やや複雑な気持ちになる。 ひょっとして煽りのようなことになっているようにも見える。
学科のツイッター事情
スマホを持ったデジタルネイティヴ世代であるので、学科の同級生のツイッターアカウントを何個もフォローしている。またときには上級生や下級生もフォローしているが、ツイッターはだいたいひどい。 誰しもがオタク的定型文で話し、時に煽り合いのようなリプライが飛び交い、先述した「数強」をダシに意味不明のツイートを飛ばしている。 誰々にフォローされて大喜びみたいな、若々しいツイートについ苦笑いしてしまうこともある。
一番ひどいのは浪人・学歴界隈だと思っている。大学に受かってなお学歴の話ばかりしているのは正直のところ見苦しいし、いつまで引きずっているんだという気持ちになる。そしてこれは自戒でもある。
そんなに不快ならフォローしなければよいのではないか、とお思いになるかもしれないが、ここは大学で、すなわち情報戦が繰り広げられているのだ。 常にアンテナを張って、講義の過去問やガイダンスに関する最新情報を得なければ、我々はとうてい生きてはいけない。 したがって有用な情報のみをかき集め、無用かつ不快な情報は何らかの方法でシャットアウトすればよいということになるのだが、常にキーワードフィルタリングを使うことができるわけでもないので、そうするとあとは気持ちベースで乗り越えるしかなくなる。
もともとコミュニケーションには疎い性分なので、そのうえ難しいノリを持ち出されると、もうどうにもできなくなる。
まとめ
「あなたの感想ですよね」と言われるとまったく反論できないし、べつに論理的にどうこう説明するつもりもないけど、どうにかなってくれ~~
*1:まあ、それは本当に不勉強だったためではあると思っているが……。